初めてのYAPCであった。 個人的な理由により盆休みを取得していなかったので、前夜祭から遅れることなく参加できた。1日目はOPこそ遅刻して間に合わなかったものの、それ以降の発表はとても楽しめた。2日目は、舌の根も乾かぬうちに大変申し訳なく思うのだが、前日(というか明けて当日未明である)寝付きが悪く布団の中で半ばあきらめ、昼過ぎに起きた時点でさらにきちんとあきらめる感じだった。 つまり前夜祭と1日目しか参加できずでして、その上で中途半端な時系列的レポートを書いても、自分の中での視点は拡散して心に留まることなくすり抜けていってしまいそうなので「ああこれだ」「これがないから俺は駄目なんだ」と感じた点だけを書くようつとめた。それがこのエントリという具合である。技術的な言及もなく具体性もかけ観念論めいてしまっているが何卒ご容赦いただきたい。

「聞いた発表の中にあったよ、これぞ俺の銀の弾丸」という錯覚

  • 登壇者の発表を聞いた中で、その「成果だけ」を真正面から受け止める
  • 「話題にあがったOSSを利用すればなぜか自分にも達成できそう」な無保証な言われなき錯覚が起こる

という感情がこの手の勉強会やらカンファレンス後に発生する。少なくとも僕は個人的にこのように吹き上がった覚えが幾度もある。たいてい長続きはしないし、もちろん成果に結びつかない。なぜか。

それは

  • 「成果」や「うれしさ」は確かに似ているが、「そもそもの前提となる課題」なんて企業ごとに違うから
  • 「発表者」と「聞き手である自身」の圧倒的な差をきちんと受け止めていないから
  • 「話題にあがった解決法」それ自体は、実は上記解決にいたるまでのほんの一部だし、そこに至るまでの過程で実は本質的な解決は果たされているから(つまり「過程」こそが本質的な解決である)

ということが言えそうだ。 「発表者」はいつもわかりやすくまとめてくれる。「Aに困っていて、Bしたら失敗したけどB’したら期待したCを求めることができた」という感じで伝えてくれる。しかし

  • Aで用が足りていて、ビジネスを回せていた時間
  • Aで困りだした時間
  • Bに希望を見出すまでの時間
  • Bで試行錯誤し、そして裏切られるまでの時間
  • Bに変わるB’を求めるまでの時間
  • 「やった、B’ならいけそうだ!そしてCを得た!」という明るい現在

この手の発表でこれらは1ページ数行の言及程度で、ほぼ等価に表現される。そして「聞き手」である僕は

  • Aで困りだした時間
  • Bに変わるB’を求めるまでの時間
  • 「やった、B’ならいけそうだ!そしてCを得た!」という明るい現在

くらいにしか目が行かず、「よっしゃ、B’したらC的うれしさを得られるんやな」と勘違いする。だからそうじゃないんだって。「リファクタリングがすんだソースコード」や「このツール使って解決出来ました」「こうやったらできたよ的設定ファイル」それ自体が、聞き手の僕に価値をもたらすわけではない。そのことを忘れてしまって、いい感じの旨味成分だけ抽出しようとしては、このような素晴らしい発表をどれだけ聞いても駄目なのだ。

銀の弾丸はやっぱりなかった。が、

ここで1日目に印象に残った発表の話にうつる。 今回ベストトーク賞を受賞した hitode909さんの Perlの上にも三年 〜 ずっとイケてるサービスを作り続ける技術である。独特の話術で大変面白く、聞けて幸せになった発表であった。僕自身は職業プログラマではないので、理解に乏しい面もあったのだが、この発表に流れている精神性は、以下の質問者とのやりとりの中にあるのだと感じた。hitode909さんと質問者さんとのやりとりを、sora_hさんのtwitter上への投稿より引用する。

["「難しくて挫折するという問題がありますよね」「歯を食い縛って実装しろって書いてあった」 #yapcasiaE"](https://twitter.com/sora_h/status/634606371372007424?ref_src=twsrc%5Etfw “そらはさんはTwitterを使っています: “「難しくて挫折するという問題がありますよね」「歯を食い縛って実装しろって書いてあった」 #yapcasiaE””)

この「歯を食い縛って」の引用(YAPCの発表で紹介した本 - hitode909の日記にある書籍から、とのこと)こそがこの発表の真髄なのだと感じた。淡々とした語り口で怨念めいた執着が表現されていたが、これこそが真髄なのだろう。

問題解決に必要なのはドラマチックな物語、ましてや「銀の弾丸」などではなく、淡々とした(しかしながらそれは本当に難しい)習慣化に裏打ちされる日々平凡な日常の積み重ねであることを、示してくれた言葉であった。銀の弾丸はなかった。が、僕達にはエナメル質があったということを教えてくれた。派手さはないがこれしかない。強く噛みあわせたエナメルが奏でる音にあわせて、一歩一歩進んでいく。換言するところエナメル駆動開発。最高じゃないか。これこそが人生ではないか。

最後に

hitode909さんのいうような「歯を食い縛って」これらを実現することは並大抵ではない。自身に置き換えれば「歯を食い縛って」いる最中に心が折れる姿は容易に想像できる。「習慣化」と簡単に言うがそれは本当に難しい。ではそれらを助けてくれるのは誰か。

これこそYAPC::Asiaのようなコミュニティの力ではないかと感じる。「コミュニティの誰かがいつか必ず評価してくれる」という期待や、「たとえうまく行かなくても誰かが別の方法を教えてくれるかも」という期待を、コミュニティは受け止めてくれる。コミュニティがある限り、コミュニティへ参加しようとする人(そうあなた方のような!)がいてくれる限り、「歯を食い縛って」いくこともやぶさかでなくなるのだと感じた。

冗長だ。つまりこうだ。

YAPC::Asia Tokyo 2015運営スタッフの方々、登壇者の方々、そして参加者の皆様(参加しようとしたけれど都合があわなかった皆様も含めて)、皆様に心から感謝いたします。